西大寺の爺、町内・会を書く。

町内会、自治会の悩み多き日々。地域コミュニティ崩壊の瀬戸際。岡山市東区西大寺。saidaiji+jijih

「精霊送り」行事と「ゴミ収集」作業。

今朝方、地区町内会会議がありました。15日におこなう「精霊送り」行事の準備が中心のお話でした。

岡山市の町内会は、原則として単位町内会、それを小学校区単位でまとめた学区連合町内会、という組織構造です。中二階に「自主的」につくっているのが地区連合町内会です。明治になって市町村制が敷かれる以前の旧村が土台になっています。

15日、精霊送り、ということで、一面仏教行事です。以前は、神社保存会が主となって町内会と共催していたような経過があります。昨年からでしょうか、地区町内会が主となって催しています。今年も、その流れです。神社保存会はお手伝いというようなことでしょうか…。示された「スケジュール表」には保存会の作業分担はありませんでしたので、今年から完全に手を引いたのでしょうか…そんなことはないでしょうけどね…。

そして、盆行事の「精霊送り」として持ち込まれたものは、ごみ収集車が夜に持ち帰る、という段取りです。このあたりで、宗教行事的な側面は、単に清掃回収・環境事業という感じになるのだろうと思います。

かき氷などがふるまわれ、ある方いわく「ミニ同窓会みたいなもの」とのことでもありました。この地区で子ども時代を送った人にはそのとおりのことでしょうね。親同士のつながりもあるでしょうし…。

一方、仏教徒でない人間にとっては、無関係とも見える行事です。さまざまな信仰をもつかたが地域に生活していて、「昔からこうだから」と「歴史」を根拠にされると、話すのもめんどうになる状況が爺の中には生まれます。「昔から…」というならそれを引き継ぐ人や賛同者がすべてを切り盛りされたらより「合理的」に見える、と考えるのは安易でしょうか。

爺は、この地域で生を受けたわけでもありませんし、長く生活しているからと特別に愛着があるわけでもありません。町内会のお手伝いをしているので、なにがしかの関係が様々な行事に発生するわけですが、当然にして他の信仰を持っている人の存在も知っています。できることなら、声なき声とでも言えばよいのか、そういう表に出にくい声に耳を傾けたいとも思う今日この頃です。

同調圧力というのもあまり好みではありません。生活しにくい時代だと思っています。